水戸地方裁判所 昭和48年(行ウ)6号 判決
茨城県日立市金沢町九七七番地
原告
株式会社泉製作所
右代表者代表取締役
坂井康亨
右訴訟代理人弁護士
浅見敏夫
同
中村尚彦
茨城県日立市若葉町二丁目一番八号
被告
日立税務署長 内田稔
右指定代理人
布村重成
同
三宅康夫
同
大坪昇
同
日出山武
同
川俣一郎
同
上條晃一
同
小林治寿
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告が原告に対し昭和四四年八月三〇日付をもつてした原告の昭和四〇年九月一日から同四一年八月三一日までの事業年度の法人税更正処分(但し国税不服審判所長が昭和四八年二月二七日付をもつてした裁決によつて取消された部分を除く。)のうち、所得金額金六六七万三、七六八円を超える部分、および昭和四四年八月三〇日付をもつてした原告の昭和四一年九月一日から同四二年八月三一日までの事業年度の法人税更正処分(但し国税不服審判所長が昭和四八年二月二七日付をもつてした裁決によつて取消された部分を除く。)のうち、所得金額金二、二八六万七、一一二円を超える部分、をいずれも取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二、請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨。
第二、当事者の主張
一、請求原因
1(一) 原告は、株式会社日立製作所(以下日立製作所という)の下請工場として金属製品の製造等を目的とする会社であるが、被告は、昭和四四年八月三〇日付をもつて、原告の昭和三九年九月一日から同四〇年八月三一日まで(以下、昭和四〇年八月期という。)、昭和四〇年九月一日から同四一年八月三〇日まで(以下、昭和四一年八月期という。)、昭和四一年九月一日から同四二年八月三一日まで(以下、昭和四二年八月期という。)、および昭和四二年九月一日から同四三年八月三一日まで(以下、昭和四三年八月期という。)の各事業年度の法人税確定申告について、所得金額を
(イ) 昭和四〇年八月期 金一、四〇八万三、九八一円
(ロ) 同 四一年八月期 金二、六四一万七、一五六円
(ハ) 同 四二年八月期 金二、六四二万〇、四一四円
(ニ) 同 四三年八月期 金七、六二〇万七、九二八円
とする各更正処分(但し昭和四〇年八月期および同四一年八月期分については再々更正処分である。以下、本件各更正処分という。)をし、その頃原告に対しその旨通知をした。
(二) ところで、右各事業年度の各更正通知書には、翌期首現在利益積立金として左記金額の貸付金勘定が計上されている。
(1) 昭和四〇年八月期 金一、四九八万八、七七七円
(2) 同 四一年八月期 金一、七九七万四、四九六円
(3) 同 四二年八月期 金二、一〇二万〇、三一八円
(4) 同 四三年八月期 金二、一四一万九、三四六円
(三) しかして、被告は、右貸付金勘定について
(1) 昭和四〇年八月期分のうち金一、三〇〇万〇、〇〇〇円
(2) 同 四一年八月期分のうち金一、七五一万〇、九六四円
(3) 同 四二年八月期分のうち金一、九二〇万七、四〇六円
(4) 同 四三年八月期分のうち金一、九二〇万七、四〇六円
は、原告が原告の代表者坂井康亨個人に貸付けたものである旨認定した。
2(一) しかしながら、右1(三)(1)ないし(4)の貸付金勘定(以下、本件貸付金勘定という。)は、原告が日東工業株式会社(以下、日東工業という。)および株式会社坂井鉄工所(以下、坂井鉄工所という。)に貸付けたものであつて、原告が坂井康亨個人に貸付けたものではない。
すなわち、
(1) 昭和四〇年八月期分については、原告が右二社に対し、原告の取引先である田中康嗣ほか二名から簿外で借入れた金一、二〇〇万円のうちの金九〇〇万円、および原告の簿外資金のうちの金四〇〇万円の、合計金一、三〇〇万円を貸付けたものであり、
(2) 昭和四一年八月期分については、前期繰越金一、三〇〇万円に、原告が日東工業に代つて同社の債権者である田中康嗣らに支払つた金三〇〇万円および利息金八一万〇、九六四円、ならびに原告が坂井鉄工所に代つて同社の債権者である松山某に支払つた金七〇万円を加算した金額であり、
(3) 昭和四二年八月期分については、前期繰越金一、七五一万〇、九六四円に、原告が日東工業に代つて前同様支払つた利息金一六九万六、四四二円を加算したものであり、
(4) 昭和四三年八月期分については、前期繰越金一、九二〇万七、四〇六円がそのまま繰越されているものである。
(二) そして、右両社は昭和四〇年電機産業界の不況に伴い経営不振に陥り、日東工業は同年九月、坂井鉄工所は同四一年一月倒産して無資力となり、原告が右貸付金を回収することは不可能となつた。
(三) したがつて、右貸付金のうち、昭和四一年八月期分については全額金一、七五一万〇、九六四円、同四二年八月期分については増加分金一六九万六、四四二円(以下、この二口の金額を本件貸付金額という。)が、いずれも貸倒損失としてそれぞれの所得金額から減殺されるべきものである。
3 そこで、原告は、本件各更正処分に対し、右の点のほか二、三の点について昭和四四年九日三〇日付をもつて関東信越国税局長に対し審査の請求をしたところ、国税不服審判所長は、同四八年二月二七日付をもつて右の点に関する不服を認容しない旨の裁決をし、同年三月二〇日原告にその旨通知したが、その裁決書において、所得金額を
(1) 昭和四一年八月期 金二、四一八万四、七三二円
(2) 同 四二年八月期 金二、四五六万三、五五四円
としている。
4 しかしながら、本件貸付金額は、いずれも貸倒損失として認容されるべきものであるから、原告の昭和四一年八月期の本件更正処分(但し右裁決によつて取消された部分を除く。)のうち、所得金額金六六七万三、七六八円を超える部分、および原告の昭和四二年八月期の本件更正処分(但し右裁決によつて取消された部分を除く。)のうち、所得金額金二、二八六万七、一一二円を超える部分は、なお違法たることを免れない。
5 本件各更正処分の各更正通知書には、いずれも更正の理由が何ら附記されていないが、これは被告が原告に対し本件各更正処分に先立ち昭和四四年七月一八日付をもつてした青色申告の承認取消処分(以下、本件取消処分という。)が有効であるとの前提に立つている。しかしながら、右取消処分の取消通知書には、その理由として、「法人税法第一二七条第一項第三号に掲げる事実に該当すること」とのみ記載されているだけで、取消の基因となつた具体的事実が何ら明示されていないので、法の要求する理由附記の要件を欠き違法というべきであるから、本件取消処分は無効である。したがつて、本件取消処分後においても、原告は有効に青色申告の承認を受けているものである。
しかして、青色申告書にかかる法人税の課税標準または欠損金額を更正する場合には、その更正通知書に更正の理由を附記しなければならないのであるから、更正の理由が何ら附記されていない本件各更正処分は違法というべきである。
6 よつて、請求の趣旨記載の判決を求める。
二、請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)ないし(三)の事実は認める。但し、被告が原告の代表者坂井康亨個人に対する貸付金として認定した額は、同1(二)(1)ないし(4)の貸付金勘定と同額である。
2 請求原因2(一)の事実は否定する。
同2(二)の事実のうち、日東工業および坂井鉄工所が原告主張の頃倒産したことは認めるが、その余の事実は否認する。同2(三)の事実は否認する。
3 請求原因3の事実は認める。
4 請求原因4の事実は否認する。
5 請求原因の5事実のうち、本件各更正処分の各更正通知書には、いずれも更正の理由が附記されていないこと、被告が原告に対し昭和四四年七月一八日付をもつて本件取消処分をしたこと、右取消処分の取消通知書には、原告主張の記載があるだけで取消の基因となつた具体的事実が何ら明示されていないことは認めるが、その余の事実は否認する。
三、被告の主張
1 原告に対する昭和四一年八月期および同四二年八月期の本件各更正処分の経緯、ならびに、原告の所得金額について、原告の確定申告にかかるそれと、被告の課税処分にかかるそれ(裁決により一部取消された後のもの。以下同じ。)との差異の明細は次のとおりである。
(一) 昭和四一年八月期分
(二) 昭和四二年八月期分
(三) 昭和四一年八月期分
(四) 昭和四二年八月期分
また、被告が原告の代表者坂井康亨個人に対する貸付金として認定した本件貸付金勘定は、昭和四〇年八月期からの繰越積立金額のうちの金一、三〇〇万円、および右(三)の順号〈6〉貸付金計上もれ金四九七万四、四九六円のうちの金四五一万〇、九六四円、ならびに右(四)の順号〈6〉貸付金計上もれ金三〇四万五、八二二円のうちの金一六九万六、四四二円である。
2 本件貸付金勘定は、原告が原告の代表者坂井康亨個人に貸付けたものであり、したがつて、本件貸付金額を原告の貸倒損失と認めることはできない。その根拠は、次のとおりである。
(一) 本件貸付金勘定の内容
(1) 昭和四〇年八月期分
(イ) 坂井康亨は、原告が田中康嗣、金村泰龍、大山三俊らから簿外で借入れた金一、二〇〇万円のうち金九〇〇万円を流用し、日東工業および坂井鉄工所に貸付けた。
(ロ) 坂井康亨は、原告の簿外資金の中から金四〇〇万円を流用し、日東工業および坂井鉄工所に貸付けた。
(2) 昭和四一年八月期分
(イ) 坂井康亨は、日東工業のため債務保証をしていたことから、同社が昭和四〇年九月に倒産したことにより同社がその債権者である田中康嗣に支払うべき金三〇〇万円および支払利息金八一万〇、九六四円を同社に代つて原告の簿外資金を流用して支払つた。
(ロ) 坂井康亨は、坂井鉄工所が昭和四一年一月に倒産したことにより同社がその債権者である松山某に支払うべき金七〇万円を同社に代つて原告の簿外資金を流用して支払つた。
(3) 昭和四二年八月期分
坂井康亨は、日東工業のため債務保証をしていたことから、同社が前記のように倒産したことにより同社がその債権者である田中康嗣に支払うべき借入金の支払利息金一六九万六、四四二円を同社に代つて原告の簿外資金を流用して支払つた。
(二) 本件貸付金勘定を原告の坂井康亨に対する貸付と認定した根拠
(1)(イ) 日東工業の代表者高橋進は、坂井康亨の妻の兄であり、坂井鉄工所の代表者坂井善一は坂井康亨の実兄であつて、坂井康亨は、終戦後から昭和三一年夏ごろまでの間、坂井鉄工所に勤務して仕事を覚え、その後、独立するまでの約一年間は日東工業に籍をおいて仕事を行ない、かつ独立するときは、同社から物心両面の援助を受けたという特殊な関係を有している。
(ロ) 坂井康亨は、つねづね右両会社のおかげで、今日の自分があるのだという気持を強くもつていたので、右両会社の経営状態が悪化するや、企業の代表者であるという立場を利用して、個人的な恩義に報いるため、原告の簿外資金を私的に流用して本件貸付金勘定の貸付をしたものである。
(2) 日東工業は原告の下請先で、原告との年間取引額は金七〇〇万円前後、また、坂井鉄工所は、原告の仕入先で原告との年間取引額は金一〇〇万円前後と、いずれも原告の年間売上額(原告申告額)、昭和四〇年八月期分四億〇、五九八万三、六七八円、同四一年八月期分四億五八一二万五六〇三円、同四二年八月期分五億八、八三五万四、三四〇円、同四三年八月期分七億〇、六七五万九、三四二円、に示される営業規模からみると、極めて微々たるものであり、取引先としての比重が非常に低い。
また、原告と右両会社との間にはなんらの資本的関係もなく、株主としての責任も有しない。
さらに、事業の継続が危ぶまれていたこれら両会社に対し、借用証書を徴せず、担保の提供も受けず、かつ、返済期限および利息の取り決めもしなかつたといつた異常な方法で多額の貸付をするということは、経済人である原告の行為として、きわめて不合理、不自然なものであり、本件貸付金勘定の貸付は、坂井康亨が原告の代表者である立場を利用し、原告の簿外資金を私的に流用したものである。
(3) 坂井康亨が原告の簿外資金を私的に流用した行為はそれぞれ流用した時点において、取締役の忠実義務(商法二五四条の二)に違反する一種の債務不履行行為となるから原告は商法二六六条一項五号により損害賠償債権を取得しているので、これを税法上は原告の坂井康亨に対する貸付金と認定したのである。
3 仮に、本件貸付金勘定の貸付が原告自ら右両会社に対し貸付けたものとしても、その場合には、以下の理由により、原告は坂井康亨に対し同人の代表取締役としての忠実義務違背を理由に商法二六六条一項五号により本件貸付金額と同額の損害賠償請求権を取得することとなるので、原告の法人所得の計算に際し、本件貸付相当額を貸倒損失として減額すべきではなく、結局、本件更正処分は適法である。
(一) 原告の定款には、その目的として「金属製品製造並びに右に付帯する一切の事業」と記載されているが、「貸付行為」についてはなんらの記載がないのみならず、貸付行為が、右定款所定の目的を達成するために必要または有益な行為であるともいえない。
(二) 本件貸付金勘定の貸付が行われた当時、右両会社は、すでに倒産寸前の状態にあり、右両会社に対し貸付を行えば、貸付金の回収が不可能なることは、坂井康亨において予見し、もしくは予見できたはずである。
(三) 日東工業は産業用電気機器、坂井鉄工所は温水器をそれぞれ製造し、一方原告は家庭用電気器具という異質の製品を製造していたのであり、原告と右両会社間における取引は三2(二)(2)記載の程度である。このことと、本件貸付時の原告と右両会社との経営規模には、格段の差があつたことを併せ考えると、右両会社が倒産したとしても、原告の営業活動になんらかの支障が生ずるとは到底考えられず、結果的にも右両会社倒産後も原告の業績は順調に推移している。
(四) したがつて、坂井康亨がした本件貸付行為は、原告に対する忠実業務に違反していることは明らかであり、右貸付金が回収不能になつたことにより、坂井康亨は、原告に対し右貸付金と同額の損害を蒙らしめたものというべきである。
(五) なお、原告は後記五1(二)において、日立製作所の日立、国分、多賀の三工場の各資材部長が昭和三八年一二月原告代表者方を訪ね、原告に対し、日東工業に対する越年資金の融資を依頼したので、その依頼を拒否することができなかつたこともあつて、日東工業に貸付けた旨主張するが、この主張も次の理由により失当である。
(イ) 一般的に、日立製作所のような大企業が自らの下請工場に対し当該工場と事業上関連のない他の下請工場に融資するよう強制するということは考えられない。
(ロ) また、日立製作所の各工場の各資材部長が、原告代表者と日東工業の代表者が姻戚関係にあるからといつて、原告代表者に日東工業に融資するよう申入れたり、このことについて強制的な態度をとつたということは社会通念からいつても考えられない。
(ハ) 仮に日立製作所の日立、国分、多賀の各資材部長が右のような申入れをしたことがあつたとしても、その申入れは同人らの私的な行為というべきであり、原告がその申入れに応ずるか否かは自由に決しうるところである。原告も日立製作所多賀工場の下請として重要な地位を占めていたものと思われるから、原告が右申入れを拒否したとしても、日立製作所が原告に不利益を課すとか、原告の利益を度外視してまで融資を強制するとは考えられない。
(六) また原告は、後記五2において、原告の坂井康亨に対する損害賠償請求権が三年の時効により消滅した旨主張するが、右請求権の消滅時効の期間は一〇年である。
ただし、取締役と会社との関係は委任または準委任の関係に立ち、取締役は、善良なる管理者の注意義務を負う(商法二五四条三項、民法六四四条)ほか、会社のために忠実にその職務を遂行すべき、いわゆる忠実義務(商法二五四条の二)を負い、取締役が右義務に違反し、会社に対し損害を与えた場合には、その任務懈怠の事実のうちに、不法行為に該当する事実があつたとしても、これを取締役の職務行為としての見地から考えるときは、それを独立の不法行為として観念すべきではなく、取締役と会社との関係に基づく債務不履行と考えなければならないからである。
4 本件取消処分は、以下の理由により無効原因がなく、したがつて本件各更正処分の各更正通知書に更正の理由が附記されていなくても本件各更正処分を違法とするものではない。
(一) 本件取消処分の取消通知書に該当条分および号数のみをもつてその取消理由を附記したことをもつて、「重大な瑕疵」とはいえない。
原告および原告代表者坂井康亨は、偽りその他不正の行為により法人税を免れたとして、昭和四一年八月期から同四三年八月期までの三事業年度の調査を受け、昭和四三年八月期の事業年度につき起訴され、水戸地方裁判所において、昭和四六年三月二〇日坂井康亨は原告の業務に関し法人税を免れる目的をもつて架空仕入の計上などにより簿外預金を設定し、期末棚卸の一部を除外するなどの不正な方法により所得を秘匿したとして、両者とも有罪の判決を受けている。
右事実によれば、原告について、法人税法一二七条一項三号に規定する青色申告の承認の取消原因事実が存在したことは明らかであり、原告は、本件取消処分の取消通知書に該当条文および号数のみをもつてその取消理由が附記されていても、その具体的内容を十分把握できたと考えられるから、仮に右取消通知書の理由附記に瑕疵があつたとしても、重大なものとはいえない。
ちなみに、原告は、本件通知書を受領した後、本件取消処分を争わず、昭和四三年九月一日から同四四年八月三一日まで、同四四年九月一日から同四五年八月二〇日までの各事業年度分につき、いわゆる白色申告をなすとともに、同四五年八月二一日から同四六年八月二〇日までの事業年度分以降の法人税については、改めて同四五年七月三〇日付で青色申告書提出承認申請書を被告あてに提出している。
(二) また、本件取消処分の取消通知書の理由附記について「明白な瑕疵」があるとはいえない。
「行政処分の瑕疵が客観的に明白であるということは、処分関係人の知、不知とは無関係に、また、権限ある国家機関の判決をまつまでもなく何人の判断によつても、ほぼ同一の結論に達しうる程度に明らかであることを指し」(最高裁昭和三一年一一月五日判決民集一六巻一一号一九三頁)、本件処分当時(昭和四四年)においては、青色申告書提出承認の取消通知書にその処分の基となつた事実を具体的に提示することを要するか否かにつき裁判例は、積極説と消極説に分かれており、富山地裁昭和四三年二月一六日判決・行集一九巻一・二号二六一頁、名古屋高裁金沢支部昭和四三年一〇月三〇日判決・行集一九巻一〇号一六九五頁など消極説をとつた裁判例も少くなかつた。
したがつて、被告が本件通知書にその処分の基となつた事実について具体的に記載しなくても、「明白な暇疵」とはいえない。
四 被告の主張に対する原告の認否
1 被告の主張1の事実はすべて認める。
2 被告の主張2(一)(1)(イ)および(ロ)の各事実のうち、坂井康亨が原告の簿外資金を流用して金九〇〇万円および金四〇〇万円を日東工業および坂井鉄工所に貸付けたことは否認し、その余の事実は認める。日東工業および坂井鉄工所に貸付けたのは原告である。
同2(一)(2)(イ)および(ロ)の事実のうち、坂井康亨が日東工業のため債務保証をしていたこと、同人が原告の簿外資金を流用して金八一万〇九六四円および金七〇万円を支払つたことは否認し、その余の事実は認める。支払をなしたのは、いずれも債務保証をしていた原告である。
同2(一)(3)の事実のうち、坂井康亨が日東工業のため債務保証をしていたこと、同人が原告の簿外資金を流用して金一六九万六四四二円を支払つたことは否認し、その余の事実は認める。支払をなしたのは債務保証をしていた原告である。
同2(二)(1)(イ)の事実は認める。
同1(二)(1)(ロ)の事実は否認する。
同2(二)(2)の事実のうち、原告と日東工業、坂井鉄工所との関係、年間取引額、原告の年間売上額、原告と右両会社との間に株主の関係のないこと、また本件貸付金勘定の貸付について借用証書を徴せず、担保の提供も受けなかつたこと、返済期限、利息の取り決めのなかつたこと、は認め、その余の事実は否認する。
同2(二)(3)の主張は争う。
3 同3冒頭の主張は争う。
同3(一)の事実のうち、原告の定款の目的に「貸付行為」の記載のないことは認め、その余は争う。
同3(二)の事実は否認する。
同3(三)の事実のうち原告、日東工業、坂井鉄工所の製造品、原告と右両社との取引規模は認め、その余は争う。
同3(四)の主張は争う。
4 同4の事実のうち、原告が法人税を免れたとして昭和四一年八月期から同四三年八月期までの三事業年度の調査を受け、昭和四三年八月期の事業年度につき起訴されたことは認める。
五 原告の反論
1 本件貸付金勘定の貸付は、原告が日東工業および坂井鉄工所に対してなしたものであり、その経緯は次のとおりである。
(一) 原告は、日立製作所の下請会社として設立されたものであるが、その際日東工業および坂井鉄工所から物心両面の援助を受けたばかりでなく、その設立当初においては対外的信用に欠けるところがあつたため、既に日立製作所の下請会社として実績を有する右両会社を経由して取引をするか、その保証が必要であつたのであり、原告と右両会社は日立製作所の下請会社として経済的に相互協力が不可欠で、両会社あつての原告であつたのである。しかして、昭和四〇年電機産業界が不況となり両会社は経営不振に陥つたのであるが、原告としては両会社を失うことは右のような密接な関係から今後の事業経営にも重大な支障をきたす結果となるので、原告の企業防衛上の見地から、また、日東工業は日立地区で唯一の特殊ボイラー作成等の技術があり、収益性のある製造ができる優秀な会社であることから、両会社を存続させる必要があつた。そこで、原告は、両会社に資金面等の援助をすることになり、本件貸付金勘定の貸付けをしたのであつて、坂井康亨個人が両会社に恩義があつたというだけではない。
(二) 電機産業界の不況に加えて、日東工業の主要取引先である日立製作所のボイラー部門が広島県呉市に移転したことから日東工業は取引量が減少し経営に行き詰まつたので、日立製作所は、その立て直しのため、昭和三八年一二月日立、国分、多賀の三工場の各資材部長を原告代表者方に派遣し、原告に対し日東工業に対する越年資金の融資を依頼した。原告としては下請会社に対し絶大な力を有する親会社たる日立製作所の依頼を拒否することができなかつたこともあつて、本件貸付金勘定のうち日東工業に対する貸付をしたのである。
(三) 日東工業は、日立地区で唯一の特殊ボイラー作製という優秀な技術を有する日立製作所のメインの下請会社であり、また、同社のメインの下請会社で過去に倒産した例はなく、景気が回復すれば充分立ち直れると考え、日東工業に対する貸付けをしたものである。
2 被告は、本件貸付金勘定が原告自ら日東工業および坂井鉄工所に貸付けたものとしても、その場合は原告が坂井康亨に対し、右貸付額と同額の損害賠償請求権を取得することになると主張するが、原告または原告の株主は坂井康亨に対し同人の行為により原告が損害を蒙つたとして損害賠償を求めていないのであるから、右主張は甚だ不可解である。
仮に損害賠償請求権があるとしても、原告は、日東工業が倒産した昭和四〇年九月、坂井鉄工所が倒産した同四一年一月に坂井康亨の行為による本件貸付が回収不能となつたことを知つたことになるが、右日時から、既に三年経過しているので、右請求権は時効により消滅している。
第三証拠
一 原告
1 甲第一号証の一ないし四、第二号証の一ないし四、第三号証
2 証人田中米子、同金村泰龍、同大山三俊、同坂井善一、同坂井すみ江、同中村政一、同藤田友蔵、原告代表者
3 乙第一ないし第九号証の成立を認める。その余の乙号各証の成立は知らない。
二 被告
1 乙第一ないし第九号証、(第一〇号証は欠番)、第一一ないし第一四号証
2 証人庄司栄、同矢崎茂、同上條晃一
3 甲号各証の成立はいずれも認める。
理由
一、請求原因1(一)ないし(三)の事実および被告の主張1の事実は当事者間に争いがない。
二、原告は、本件各更正処分に先立つ本件取消処分には、理由附記の違法があるから無効であり、したがつて、更正の理由が何ら附記されていない本件各更正処分は、違法である旨主張する(請求原因5)ので、まず、この点について判断する。
本件各更正処分の各更正通知書には、いずれも更正の理由が附記されていないこと、被告が原告に対し、昭和四四年七月一八日付をもつて本件取消処分をしたこと、右取消処分の取消通知書には、その理由として、「法人税法第一二七条第一項第三号に掲げる事実に該当すること」とのみ記載されているだけで、取消の基因となつた具体的事実が何ら明示されていないことは、当事者間に争いがない。
原告は、本件取消処分は右のように該当条項を記載しただけで取消の基因となつた具体的事実が何ら明示されていない点に理由附記の違法があるから無効である旨主張するが、行政処分の瑕疵が無効事由となるためには、その瑕疵が重大かつ明白であることを要し、右明白であるとは、処分の成立時において外形上客観的に明白でなければならないところ、青色申告書提出承認の取消処分の理由附記については、本件取消処分当時(昭和四四年)、取消の基因となつた具体的事実を明示することを要するといういわゆる事実説と、該当条項のみを示せば足りるといういわゆる条項説とが対立し、未だ判例上有権的な解釈も示されていなかつた(最高裁が事実説をとることを明らかにして、それまでの下級審裁判例の対立に決着をつけたのは、昭和四九年四月二五日判決・民集二八巻三号四〇五頁である。)ことは、当裁判所に顕著なところであるから、本件取消処分が条項説をとつたことをもつて、右処分当時その瑕疵が外形上客観的に明白であるとはいえない。
したがつて、本件取消処分は無効であるとはいえず、右処分が無効であることを前提として本件各更正処分に違法がある旨の原告の前記主張は、理由がないというべきである。
三、次に、原告は、本件貸付金勘定は原告が日東工業および坂井鉄工所に貸付けたものであり、本件貸付金額は原告の貸倒損失となつたものであるから、原告の所得金額から減殺されるべきである旨主張するのに対し、被告は、本件貸付金勘定は原告が原告の代表者坂井康亨個人に貸付けたものであるから、本件貸付金額を原告の貸倒損失と認めることはできない旨主張するので、以下、この点について判断する。
四、昭和四〇年八月期に、原告が田中康嗣、金村泰龍、大山三俊らから簿外で借入れた金一、二〇〇万円のうちの金九〇〇万円、および原告の簿外資金のうちの金四〇〇万円が日東工業および坂井鉄工所に貸付けられたこと、昭和四一年八月期に、日東工業が昭和四〇年九月倒産したことにより、同社がその債権者である田中康嗣に支払うべき金三〇〇万円および利息金八一万〇、九六四円、ならびに坂井鉄工所が昭和四一年一月倒産したことにより同社がその債権者である松山某に支払うべき金七〇万円が原告の簿外資金から支払われたこと、昭和四二年八月期に、日東工業の右倒産により同社がその債権者である田中康嗣に支払うべき利息金一六九万六、四四二円が原告の簿外資金から支払われたことは、いずれも当事者間に争いがない。
五、右四記載の争いない事実と、成立に争いのない乙第一ないし第六号証、第九号証、証人田中米子、同金村泰龍、同大山三俊、同庄司栄、同坂井善一、同矢崎茂、同坂井すみ江および同中村政一の各証言、ならびに原告代表者本人尋問の結果を総合すると、次のとおりの事実が認められる。
1 日東工業代表者高橋進は坂井康亨の妻の兄であり、坂井鉄工所の代表者坂井善一は坂井康亨の実兄であつて、坂井康亨は、終戦後から昭和三一年夏ごろまでの間、坂井鉄工所に勤務して仕事を覚え((以上の事実は当事者間に争いがない。)、その後同社を出て日東工業の工場の一部を借受けて家電関係の仕事を始め、同年一二月ころ正式に独立して個人経営の泉製作所を設立したが、その独立に際しては、日東工業から機械類を時価の約半値で譲受けたほか、金三〇〇万円の融資を受け、また、日立製作所多賀工場の下請になるについて、既に日立製作所日立工場の下請会社としての実績を有する日東工業の代表者高橋進に尽力してもらい、その後も、昭和三四、五年ころまで、他からの借入れについて日東工業に保証してもらうという関係が続いた。
2 日東工業は、昭和三六年ころにその主要な取引先である日立製作所日立工場のボイラー部門が広島県呉市へ移転したことや不景気の影響などにより、昭和三七年ころから次第に業績が不振となつてきた。そこで、坂井康亨は、主として、右1記載のように日東工業の代表者高橋進は妻の兄であつて、同社には個人経営の泉製作所が独立するに際して色々世話になつたので、その恩返しをしなければならないという道義心から、そのころから、泉製作所(未だ坂井康亨の個人経営である。)が鋼材を買入れている株式会社田中善助商店の田中康嗣、泉製作所が鉄屑類を卸している金村泰龍および大山三俊などから金員を借受け、日東工業に対し、手形や給与などを支払うための資金の一部として金五〇万円ないし一〇〇万円程度を融資するようになつた。また、坂井康亨は、昭和三八年中ごろには、株式会社常陽銀行日立支店長らから、日東工業の業務を縮少して再建を図るため、同社の川尻工場を買収して欲しいとの要請を受け、右銀行らから融資を受けた資金で右工場を買収して、株式会社豊浦製作所という別会社を設立し、日東工業の再建に協力した。さらに、坂井康亨は、同年一二月二八日ころには、日東工業の代表者高橋進らから越年資金の融資を依頼され、これに応ずることとし、その資金を金融機関から借受けようとしたが、期日がなくて借受けることができなかつたので、田中康嗣らから金三〇〇万円を借受け、これを日東工業に貸付けた。坂井康亨の日東工業に対する貸付金は、右金三〇〇万円までの分については、比較的短期間のうちに返済されたが、右金三〇〇万円については、昭和三九年二月ころうち金一〇〇万円が返済されたのみで、その余の金二〇〇万円はこげつきとなつた。
3 ところで、原告は、昭和三九年二月資本金五〇〇万円で坂井康亨が代表取締役、同人の妻坂井すみ江および父坂井善作が取締役に就任して設立されたが、右資本金のほとんどは坂井康亨が出資したものであり、その経営も同人のワンマン経営であつて、法人組織になつたとはいえ、個人経営の泉製作所と実質的に変りがない状態であつた。そして、坂井康亨は、他の取締役に図ることもなく、その後も、設立当初の原告には資金的余裕がなかつたので、毎月のように田中康嗣らから借受け、日東工業に貸付け、原告の簿外資金を蓄積できるようになつた後はその資金を貸付けていたところ、田中康嗣らからの借受けについては、同人らから個人としては融資できないと言われたことから原告として借受けることにしたが、日東工業に対する貸付については、法人と個人の区別を意識しないで、従来の個人融資と同じように考えて貸付けていた。この一連の貸付のうち昭和四〇年八月期に行われたものが、前記の同期における日東工業に対する貸付である。
4 一方、坂井康亨は、日立製作所日立工場の資材部長の勧めに応じて日東工業の内部に入つてその援助をすることとし、昭和三九年同社の取締役に就任し、主として生産管理部門を担当して受注の拡大等に努力し、経理帳簿も閲覧していたが、同社の業績は依然として振るわず、同社が倒産した場合には取締役としての責任を追及され、場合によつては原告にも損害が波及することが予期されたばかりでなく、原告の親会社である日立製作所多賀工場の資材部長から、外部から応援するだけで十分ではないかとの助言もあつたので、同年一〇月には取締役を辞任した。
5 日東工業が田中康嗣から借受けた金五〇〇万円について同社が返済を怠つたことから、昭和三九年月ころ同人から全額返済の請求を受けたので、同社の代表者高橋進は、坂井康亨を混じえて田中康嗣と話合つた結果、坂井康亨が債務保証をすることで期限の猶予を得ることとなつた。そこで、坂井康亨は、期限猶予のための為替手形の裏書欄に保証の意味で自己の氏名を記載しようとしたところ、田中康嗣から会社名を記載してくれと要求され、「株式会社泉製作所代表取締役坂井康亨」と記載し、原告の社印を押捺したが、坂井康亨としては、会社として保証したという気持はなかつた。そして、日東工業が昭和四〇年九月倒産した後、坂井康亨は、原告名義の右保証債務について田中康嗣と話合い、同年一〇月ころ、元金のうち金三〇〇万円とそれまでの利息を分割して支払い、その余の債権を免除してもらうこととなつた。その支払が、前記の昭和四一年八月期の金三〇〇万円および利息金八一万〇、九六四円、ならびに昭和四二年八月期の利息金一九六万六、四四二円である。
6 坂井鉄工所も業務不振となつて、金融機関はもとより田中康嗣や古物商松山某らからの借金がかさみ、もはや同人らからも借受けることができず、従業員の給与の支払いもできなくなつたことから、昭和四〇年ころ、その代表者坂井善一は、弟である坂井康亨に融資を要請した。そこで、坂井康亨は、前記1記載のように、坂井鉄工所には仕事を覚えさせてもらつたり、個人経営の泉製作所が独立するにあたつて主要なメンバーとなる従業員を出してもらうなどの援助を受けたので、その恩義に報いるため、原告が田中康嗣らから借受けた金員および原告の簿外資金の中から金三〇〇万円を貸付けたが、坂井善一としては、貸主が坂井康亨個人かそれとも原告かについて明確な認識をもつていなかつたものの、借用書代りに振出した約束手形の受取人欄に「坂井康亨」と記載するなど、どちらかというと弟個人が貸主であると考えていた。この約束手形は、当初約三か月の期限で書替えられていたが、坂井鉄工所の支払見込が立たなかつたので、そのうち書替も行われなくなつた。
7 坂井鉄工所が昭和四一年一月倒産した後、多数の債権者が坂井善一方を訪れ同人に対し債権の支払を要求し、特に松山某の取立は厳しく、このため坂井善一は一時行方をくらますに至つたが、今度は坂井康亨が松山某から、坂井善一の弟であるということから、同人に代つて支払うよう迫られたため、坂井康亨は、原告の保証はもとより坂井康亨の保証もないのに、やむなく原告の簿外資金から金七〇万円を支払つた。これが、前記の昭和四一年八月期の金七〇万円である。
8 個人経営の泉製作所が独立してからは、泉製作所と日東工業の間には取引がなかつたが、日東工業が業績不振となつた昭和三八年ころから、泉製作所は、日東工業に対し比較的大型のタンクの製造を発注し、同社の倒産直前ころには年間取引額は金七〇〇万円前後となつた。また、坂井鉄工所との取引は泉製作所が独立した当初はあつたものの、その後はほとんどなく、坂井鉄工所が倒産直前ころの年間取引額は金一〇〇万円前後であつた。原告の年間売上額は、昭和四〇年八月期分四億〇、五九八万円三、六三七円、同四一年八月期分四億五、八一二万五、六〇三円、同四二年八月期分五億八、八三五万四、三四〇円、同四三年八月期分七億〇、六七五万九、三四二円であつて(原告の年間売上額については当事者間に争いがない。)、原告の右営業規模からみると、日東工業および坂井鉄工所は、いずれも原告の取引先としての比重が極めて低い。また、原告と右両会社との間には資本的関係がなく、右両会社が倒産する直前ころには、原告の営業規模は右両会社に比べて格段に大きく、さらに、右両会社が倒産したことによつても、原告に格別の影響があつたということはなく、かえつて、原告の年間売上額は、右のように逐次増加している。
9 原告が昭和四〇年八月期に田中康嗣らから借受けた際の利息は、利息制限法所定の制限を超過する月三分であつたのに対し、その借受金が日東工業および坂井鉄工所に貸付けられた際には、利息や返済期限について特に定めがなかつたばかりでなく、担保の提供もなく、借用証書もなかつた(右両会社に対す貸付について、利息、返済期限の定めがなく、担保の提供も受けず、借用証書も徴しなかつたことは当事者間に争いがない。)。また、当時原告において経理課長として経理関係一切を担当していた神永英雄は、右貸付について全く知らされておらず、原告の帳簿にも右貸付に関する記載がない。
以上の事実が認められ、証人田中米子、同坂井すみ江の各証言、原告代表者本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らし、措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
六、右認定事実によれば、前記昭和四〇年八月期における日東工業に対する貸付は、個人経営の泉製作所の独立に際して受けた恩義に報いるため、坂井康亨個人が日東工業に対して行つていた貸付の延長として、原告設立後に坂井康亨が原告の簿外資金および原告が田中康嗣らから高利で借受けた金員を利用して独断で行つたものであり、当時日東工業は倒産も予期される経営不振であつて、同社と原告との間には、原告が高利で借受けて貸付けなければならないという企業上の関連性はなかつたというのであるから、右貸付は、坂井康亨が原告の簿外資金等を私的に流用して行つたものというべきである。
また、右認定事実によれば、日東工業の田中康嗣に対する債務の保証は、坂井康亨個人の保証というべきであるから、前記の昭和四一年八月期における日東工業の債権者田中康嗣に対する原告の簿外資金からの金三〇〇万円および利息金八一万〇、九六四円、ならびに昭和四二年八月期における前同様の利息金一六九万六、四四二円の各支払は、坂井康亨が原告の簿外資金を私的に流用して行つたものというべきである。
さらに、右認定事実によれば、前記の原告の昭和四〇年八月期における坂井鉄工所に対する貸付は、個人経営の泉製作所が独立する際などに受けた恩義に報いるため、坂井康亨が原告の簿外資金を利用して行つたものであり、坂井鉄工所と原告との間には、日東工業の場合よりもさらに企業上の関連性がなかつたというのであるから、右貸付は、坂井康亨が原告の簿外資金を私的に流用して行つたものというべきであり、また、前記の昭和四一年八月期における坂井鉄工所の債権者松山某に対する原告の簿外資金からの金七〇万円の支払は、坂井鉄工所が倒産した後、坂井康亨が、松山某から同社の代表者坂井善一の弟であるということで請求を受け、原告の債務保証も坂井康亨個人の債務保証もないのに、原告の簿外資金を利用して行つたものであるというのであるから、坂井康亨が原告の簿外資金を私的に流用したものというべきである。
七、原告は、原告と日東工業および坂井鉄工所とは、同じく日立製作所の下請会社として経済的に相互協力が不可欠であり、右両会社を失うことは、原告の今後の企業経営に重大な支障をきたす結果となるので、原告が企業防衛上の見地から、右両会社に融資したものである旨主張するが、前記認定事実(特に五9)に照らすと、右主張は、とうてい採用の限りでない。
また、原告は、昭和三八年一二月に日東工業に対し金三〇〇万円を融資するにあたつては、日立製作所が日立、国分、多賀の三工場の各資材部長を坂井康亨方に派遣して融資を依頼したのであり、原告としては、絶大な力を有する親会社の依頼を拒否できなかつたこともあつて、日東工業に融資した旨主張し、前掲乙第一ないし第四号証、証人坂井すみ江、同中村政一の各証言および原告代表者本人尋問の結果を総合すれば、右融資にあたつて、日東工業の代表者高橋進のほか、日立製作所日立工場の幹部らが坂井康亨方を訪れ、融資の依頼をしたことが、窺われないではない。もつとも、当時日立製作所日立工場の資材部長であつた証人藤田友蔵は、昭和三八年一二月二八日ころ多賀、国分の各資材部長とともに坂井康亨を訪ね、日東工業に対する越年資金の融資をしたということは、あるいはあつたかも知れないが、記憶にない旨供述しており、証人上條晃一の証言により真正に成立したものと認められる乙第一三号証中の藤田友蔵に対する質問応答録の中には、日東工業に対する融資の斡施は、日立製作所の下請の協同組合がやつた、自分の工場の下請先ならともかく、ほかの工場の下請先まで行つて融資を頼むということはないと思う旨の記載がある。また、証人上條晃一の証言により真正に成立したものと認められる乙第一四号証(当時日立製作所国分工場の資材部長をしていた伊原邦次に対する応接(電話)記録せん)の中には、坂井康亨方へ融資依頼に行つたことはない旨の記載がある。
しかしながら、仮に日立製作所日立工場の幹部らの融資依頼が事実あつたとしても、前記認定事実によれば、当時は原告設立前の個人経営の泉製作所のときであるから、直ちに原告としての融資を求めているとみることができないばかりでなく、前掲乙第三号証(坂井康亨に対する質問てん末書)の中には、日立製作所日立工場の幹部から「あなたは義兄弟であり是非何とか協力してほしい」という話があつた旨の記載があつて、坂井康亨個人としての融資を求めているのであり、後に泉製作所が法人化されるとすれば法人としての融資を求めているとしても、前記認定のように、原告の昭和四〇年八月期ころの営業規模は日東工業に比べ格段に大きいことからみて、同期ころには、原告は日立製作所多賀工場の下請として重要な地位を占めていたと推認されるばかりでなく、前記認定事実によれば、坂井康亨は、昭和四〇年八月期が始まつたばかりの昭和三九年一〇月、右多賀工場の資材部長の助言もあつて、日東工業の取締役を辞任していることからみて、原告が貸倒損失として主張している本件貸付金額の貸付が始められた昭和四〇年八月期ころにおいても、日立製作所(特に親会社である多賀工場)が原告の企業としての立場、利益などを無視してまで日東工業に対する融資を強制するとか、原告が融資依頼を拒否した場合は原告に不利益を課すということは考えられないというべきである。したがつて、親会社たる日立製作所の融資依頼を原告として拒否できなかつた旨の右主張も失当というべきである。
さらに、原告は、日東工業は優秀な技術を有する、日立製作所のメインの下請会社で、その再建について日立製作所も協力するとのことであり、同社のメインの下請会社で過去に倒産した例はなく、景気が回復すれば充分立ち直れると考え、原告が日東工業に貸付けた旨主張し、前記認定のように、坂井康亨が昭和三九年三月日東工業の取締役に就任するにあたつて、日立製作所日立工場の資材部長の勧めがあつたこと、前掲乙第一三号証、証人藤田友蔵の証言によれば、右日立工場としても、納品後すぐに仕入代金を全額払うなどして日東工業を援助したことが認められるが、日立製作所が原告に対し、日東工業に対する融資を要請したという具体的事実は、本件全証拠によるも、これを認めるに足りる証拠はない(但し、昭和三八年一二月二八日ころの融資依頼については、右に検討したとおりである。)。仮に右主張の事実があつたとしても、日東工業とその親会社たる日立製作所日立工場はさておき、日東工業と原告との間には、原告が高利で借受けて貸付けなければならない企業上の関連性がないことは、前述のとおりであるから、右主張事実をもつて、昭和四〇年八月期以後の日東工業に対する貸付は坂井康亨が原告の簿外資金等を私的に流用して行つたものであるという前記認定を左右するに足りない。
八、そうすると、本件貸付金勘定の貸付は、坂井康亨が原告の簿外資金等を私的に流用して行つたものであるというべきであり、同人は原告の代表取締役であるから、同人が、原告の簿外資金等を私的に流用した行為は、それぞれ流用した時点において、取締役の忠実義務(商法二五四条の二)に違反する一種の債務不履行行為となるので、原告は、商法二六六条一項五号により坂井康亨に対し損害賠償請求権を有する。
しかして、被告が本件各更正処分において、本件貸付金勘定を原告が原告の代表者坂井康亨個人に貸付けたものである旨認定したことは、当事者間に争いのないところであり、更正処分において、右損害賠償請求権を原告の坂井康亨に対する貸付金と認定したのは、やや正確さを欠く憾みがあるけれども、法人税額を計算する上において何れも資産として計上すべき点においてはなんらの差異もないのであるから、結局において相当であるというべきであつて、本件各更正処分に違法のかどは認められない。
九、以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、失当として棄却すべきであるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長 裁判官 高橋久雄 裁判官 小野田禮宏 裁判官 菅原崇)